「食卓の向こう側」 応援団ブログ

西日本新聞「食卓の向こう側」応援団。世の中の「くらし」を明るくします。

【福岡・黒木町】小森 耕太(こもり・こうた)「山村塾」事務局長

得意分野:

 

f:id:shoku-taku:20160224095125j:plain

■プロフィル
1975年福岡市生まれ。2000年3月九州芸術工科大学芸術工学部環境設計学科卒業。大学時代に山村塾の活動と出会い、2000年4月から山村塾事務局スタッフとして八女郡黒木町に移住。以後8年間、地域の農林家と連携し、都会からのボランティアや農林業体験希望者を受け入れ、様々な企画を立案し実行中。最近は、森林ボランティア活動の技術指導、安全講習、リーダー養成講座などの人材育成に力を入れている。ふくおか森づくりネットワーク事務局長、特定非営利活動法人森づくりフォーラム理事、森づくり安全技術・技能全国推進協議会理事、全国ワークキャンプフォーラム実行委員会実行委員、JCVN(日本環境保全ボランティアネット)メンバーなど、他団体とも連携しながら、農山村、農林業、里地里山、森づくり、地域づくり、若者の自立などの活動に参加している。

■連絡先
山村塾事務局
〒834-1222 福岡県八女郡黒木町大字笠原641四季菜館内
TEL 0943-42-2722 FAX 0943-42-3800
E-mail sannsonn(アット)f2.dion.ne.jp(アットを@に変えてください)

山村塾HP http://www.h3.dion.ne.jp/~sannsonn/

 

 

里山ボランティア活動の次なるステップ
「都市と農山村の境を越えて」
山村塾 事務局スタッフ 小森耕太

▼1994年、山村の自然から学ぶ山村塾発足
福岡市から南へ60キロ。あと一山越えれば熊本県という九州の内陸部に、わが黒木町がある。標高は60mから900mと起伏に富んだ農林業中心の町で、標高が低いところではイチゴやブドウなどが作られており、奥に入ると、スギやヒノキの山々に囲まれながら、棚田や茶畑が広がっている。
1994年、そういった自然豊かなこの町で、「都市と農山村とが一体となり、棚田や山林といった豊かな環境を保全する」ことを目的に、2軒の受け入れ農家を中心とした山村塾が設立。その背景には、1991年の大型台風17号、19号によるスギ・ヒノキ林の風倒木被害(北部九州は大きな被害を受けた。黒木町内では2週間以上停電した地域があった。)、1993年の米不足(記録的な冷夏で、全国の米の作況指数が74になった。この年はじめて日本の食料自給率が40%を切った。)などがあり、食糧自給の必要性や針葉樹一辺倒の見直しについて、市民の意識が高まりを見せていたことがある。一方、山村塾の受け入れ農家である「椿原家」は、以前から合鴨による米作りや有機農業を手がけており、産直グループや生協の生産者として消費者との交流活動を行っていたが、短時間の見学ツアーや単発的なイベントなどその場限りの交流になってしまい、受け入れの気苦労の割には満足できていなかった。また、もう一つの受け入れ農家「宮園家」は、生協グループの協力で、風倒木被害地に広葉樹の植林を仕掛けたものの、その後の管理に頭を悩ませていた。そんな折、事務局長になる毛利宗孝が、生協のつてをたよりに「米づくりを教えて欲しい」と椿原家を訪れたことで話がはずみ、稲作体験コース「椿原寿之ファミリー」、山林体験コース「宮園福夫ファミリー」、消費者の立場から参加の事務局「毛利宗孝ファミリー」という、3家族による山村塾設立と会員募集が始まった。その後、2000年に大学を卒業後、山村塾のスタッフとして農山村に移り住んだ私と、そんな私と結婚し、移り住んできた小森文子夫人が加わり、私たち「小森耕太ファミリー」を加えた4家族が、運営の中心を担っている。

▼お客さん扱いしない、年間を通じた、家族ぐるみの活動
 発足当時、31口だった会員数は、13年目の2006年現在、94口の家族、個人、団体となった。受け入れ側の「楽しくなくなったらやめよう」という緩やかなスタンスと、農山村の自然を守りたいという熱い気持ちに惹かれて、次第に人が集まり、活動の幅も規模も大きくなってきた。山村塾の活動で大切にしているのは、(1)「お客さん扱いしない」こと。農家が、都会から来た人達を受け入れると、ついついお客さん扱いしてしまい、もてなそうとなってしまう。しかし、都会の人達が求めるのは、豪華な料理ではなく、農家が日ごろ食べているようなホッとする郷土料理であり、お膳立てされた体験イベントではなく、都会では味わえない非日常体験なのだ。そしてもうひとつ、(2)「年間を通じた活動」。四季折々に変化する里山の景色や旬の食材を使った郷土料理。それらは、田植えや草取り、稲刈りといった四季の農作業を通じて味わうことができる。単なる作業体験だけでなく、その作業を行う季節の景色や気候、においや味といった季節を丸ごと体験してほしいという願いがある。最後に、(3)「家族ぐるみの活動」だ。初めは子供に体験させたい、と参加した親御さんたちが次第にのめりこみ、子供の先頭に立って汗を流している。親が楽しんでいることには、自然と子供も興味を持つ。また、家族で体験を共有することで、その場限りの体験にならず、家に帰ってからも山村塾の話題が出てくる。

▼誰もが気軽に、安全に楽しく!ワーキングホリデーな取り組み
山村塾の活動の幅が広がった一つに、1997年に始まった「国際里山・田園保全ワーキングホリデー(2005年まで毎年開催の全9回)」がある。私が山村塾に関わるきっかけともなったこの活動は、英国の環境保全グループBTCVや九州大学芸術工学部重松研究室などと連携した取り組みで、日本各地はもとより、世界から様々な年代のボランティアが集まり、人工林の手入れや遊歩道整備、棚田の石垣修復などを10日間の合宿生活を通じて行うものだ。ワーキングホリデーを生んだBTCVでは、コーヒーブレイクならぬ、ナチュラルブレイクという表現を使って、自然の中で汗を流す休暇を呼びかけている。休暇であるから、誰もが気軽に安全に楽しめる活動であることが重要である。そのためには、活動を支える人材や安全に対しての配慮が欠かせない。また、グループで協力して活動するための気配りも必要である。ワーキングホリデーを実施することによって、山村塾がそういったノウハウを身につけることができたことは、大きな成果である。
環境問題や農山村の課題を考えるとついつい深刻になってしまいそうだが、ひとりひとりが楽しく汗を流すことが、解決のひとつの手段になる。その輪を広げることが重要なのだ。

▼山仕事講座と農体験塾、そして里山ボランティアリーダーの育成
最近、定年帰農や二地域居住などと言われるように、定年後のライフスタイルの場を農山村に求める「農的暮らし希望者」が増えてきた。農山村に住みたい、または定住希望ではないけれど、農作業を、山仕事をやってみたい、という方々である。これまで山村塾に訪れていた人よりも、もう少し身近に、農林業を、農山村を感じていたい人のように思う。また、若い世代でもそういう人が増えてきた。しかし、土地、資金、人間・地域関係、技術・体力面で困難な場合が多い。農山村では、家や地域の年配者が、共同作業や地域活動を通じて、次世代を育ててきた。けれども、農的暮らし希望者にはそういった先生もいないし、それを身につける時間も少ない。また、行政や農協は、楽しみながら農的暮らしを行いたい人には不親切である。経済活動としての新規就農しか支援されていないように感じる(それすらも不十分に思うときがあるけど・・・)。そこで、それに応えるべく、山村塾ではこれまでの行ってきたワーキングホリデーなどのノウハウを活かしながら、農山村の生活体験が無い人でも、正しい知識と技術を身につけることができる山仕事講座と農体験塾という二つの講座をスタートさせた。
「山仕事講座」は、地元の林業研究グループ「黒木町林業振興会」との連携で2002年度から始まった取り組みで、ノコ、ナタ、チェーンソーの使い方、安全な伐木作業などの技術講習である。ここでの修了生は、県内の森林ボランティア活動で作業リーダーとして活躍したり、中には本格的な林業の手伝いを行うほどの技量を身につけた人もいる。
「農体験塾」は、稲作体験コースを担当している椿原家が技術指導を担当し2006年度から始めた取り組みで、無農薬による野菜作りを通して、トラクターや耕耘機、草刈機など農作業に必要な機械の講習、堆肥の作り方から始まる土作り講座などを行う。講座の中には農具の使い方や身体を痛めないための作業方法も盛り込まれている。
この二つの講座に加えて、グループでのボランティア活動を支援する「ボランティアリーダー講座」も始まった。これらの講座は、都会の人が農山村に入り込むきっかけを提供すると同時に、安全な技術を身につけたボランティアが、荒廃していく里山保全管理を担う仕組みづくりを目指している。
そして更に、経験を積んだ人の中で希望者を募り、里山ボランティアリーダーとして認定し、活動の幅をもっと広げてもらいたいと考えている。認定されたリーダーは、農山村に滞在しながら里山・棚田の保全作業に関係する農家のお手伝いを行う。農林家は、大型機械を入れるのでも、除草剤や農薬を買うのでもなく、ボランティアを受け入れることで地域の自然環境を大切にした持続的な農林業を目指すことができる。このとき大切なことは、きちんと講座を修了し、経験を積んだ人を認定するということである。一定のハードルを設定することで、技術と意識をもったボランティアが育つ。そして、力のあるボランティアが農山村で活躍することで、地域の農家が里山ボランティアに触発され、取り組みが広がって欲しいと考えている。また、農的暮らしを希望をする方々も、こうした受け皿があることで、いきなり農山村に飛びこまなくても、山村塾の活動を通じて、技術や経験を身につけ、自分らしい関わり方や住処をさがすゆとりをもつことができるはずだ。

▼効率がすべてなのか?
 食糧の自給率が、カロリーベースで40%だそうだ。自給率を高めなければ日本は危ない!ということで、国内の農業に対する期待は高まってきた。その影響か、農山村にいると「小さな農家は集落単位で集まって、効率的に大きな規模で行いましょう。力のある農家は、地域のリーダーとなって、地域の農地や管理作業を受け入れましょう。そうすればもっと安くて良いものが作れますよ。」そして、「そのためには、大きなトラクターを買いましょう。大きな加工施設を作りましょう。お金は補助します。金利も安いですよ。」と行政からの声が聞こえてくる。食料の生産効率を高めることで自給率をあげるということらしい。本当にそれで問題解決するのだろうか。それを実行する農家自身の自給率は下がっているのではないだろうか。効率的で大規模な農業生産を目指すがために、出荷品目以外の野菜づくりをやめ、ときには米作りもやめざるをえない。作り手が、自給に目を向けることが出来ない世の中なのだから、消費者に国内自給の大切さを訴えても響かない。時間やノルマに追われる暮らしは、都会と変わらなくなり、都会の人が求めている「農山村」は失われつつある。
山村塾の取り組みは、一見、非効率的に思えるが、農山村の持つ魅力を引き出し、多くの協力者や農山村のファンを育てることで、着実に農家の暮らしを支え、農山村の担い手育成に貢献しているのである。

▼都市と農山村の境を越えて
 ワーキングホリデーや里山ボランティアリーダーの取り組みのように、能力や考え方、役割が違う人達が集まって共同作業を行うということは、実は、昔の農山村では当たり前のようにあったのではないだろうか。地域の古老がいて、働き盛りの夫婦がいて、若者がいて、田んぼで遊ぶ子供たちがいる。それぞれの立場でそれぞれに役割があったはずだ。子供だって忙しいときは草刈りや薪集めをするし、お年寄りは竹細工やワラ細工で日用品を作っていた。そして、田植えや稲刈りなど、農家が一番忙しいときは、遠くから親戚、縁者が駆けつけて手伝っていた。その人にできる仕事があって、だれにも居場所があった。しかし、食べることやつくることに疎遠になってきた今、命を支える根幹の第1次産業でさえも機械的に工程管理され、効率の悪い土地や人材を排除しようとしているように見える。大切なことだからこそ効率だけを追い求めるのではなく、誰もが関わることのできる余裕があっていいのではないだろうか。
 稲作体験コース、山林体験コース、ワーキングホリデーに山仕事講座、農体験塾、そして農家の日常の仕事。山村塾は、多様なメニューを提供することで、様々な目的や経験を持つ人を受け入れることが可能となっている。そして、都市と農山村の境を低くし、もっと多くの人が気軽に、農林業、農山村にかかわり、互いに支えあうことができるような助けになっている。かくいう私も、農山村の魅力に惹かれ、山村塾の多様な活動に育てられた一人である。これからも、もっと多くの方が農山村とかかわるきっかけづくり、場づくりを行っていきたい。