「食卓の向こう側」 応援団ブログ

西日本新聞「食卓の向こう側」応援団。世の中の「くらし」を明るくします。

【福岡・福岡市】佐藤 剛史(さとう・ごうし)九州大学大学院農学研究院助手

得意分野:

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■プロフィル
1973年、大分県生まれ。農学博士。
目標は「研究と実践活動の両立、統合」。学生時代に、NPO法人環境創造舎を立ち上げ、代表理事に就任。里山再生活動、生物多様性保全活動、市民参加型のまちづくり食育などの事業・活動を展開。NPOと行政との協働事業、企業との協同による「飲めば飲むほど緑が増える『九州大吟醸』」など、そのアイデアと先進性が高い評価を受けている。
また、こうした経験を生かし、様々な参加型のワークショップ、イベントをデザイン、ファシリテートしている。ある学生が付けてくれた肩書きが「学びと成長の総合プロデューサー、みんなをhappyにするファシリテーター」。肩書き負けせぬように、日々修行中。

■問い合わせ先
http://d.hatena.ne.jp/kab-log/

 

「大学生による大学生のためのお弁当の日」


1.大学に入る前に考えておいてほしいこと

 「大学に入る前に考えておいてほしいこと」がある。大学に入るためにしっかりと勉強し、ある程度の学力を身につけることは大切だ。しかし、それだけで充実した大学生活が送れるかと言えばそうではない。家事の力、特に食の力が決定的に重要だと思う。

 「朝ご飯を食べない」「お菓子と清涼飲料水でお腹一杯」「毎日の夕食をコンビニに頼る」。そんな学生に、勉強にも、サークル活動にも、恋愛にも、すべてに真剣に取り組めるほどのバイタリティがなさそうなことは、容易に想像がつく。

 しかし仕方がない。自分の健康やhappyのために献立を考え、食材を選び、それを料理し、おいしく食べる技術がないからだ。大学に入るまでにそんな食の力を身につけてこなかったからだ。

 「大学に入れば、一人暮らしをすれば、そんな力は勝手に身につく」なんてことは決してない。大学ではそんなことは教えないし、それを習得する意志と時間を作るのも難しい。大学生活は忙しいし、いろんな誘惑に溢れている。

 だから、大学に入る前に是非、家事の力、食の力を身につけてほしい。大学の教員として、高校生に「勉強の時間を減らしてでも家事手伝いをしよう」とはなかなか言いにくい(本当は言いたい)。だから勉強+アルファの時間を作り、しっかりと家事手伝いもしよう。そんな学生は絶対に大学で伸びる。社会に出ても、もっと伸びる。

 私はよく学生にこんな話をする。

 「君たちは将来、絶対に社会のリーダー的役割を担うことになる。会社、その中の部署、地域社会、いつかは大なり小なりの組織をマネジメントしなければならない日が来る。しかし、自らをマネジメントできない人間が、組織をマネジメントできるだろうか。組織をマネジメントしようと思えば、まずセルフ・マネジメントからだ。ではセルフ・マネジメントとは何か。それは、時間のマネジメントと食のマネジメントだと思う」。

 ちなみに、プロジェクトをマネジメントするときに求められる一つの力は「段取り力」。この段取り力を身につけるには、料理ほど格好の教材はない。


2.大学生みんなで作る「お弁当の日」

 九大で面白い取り組みが始まった。

 「九大お弁当の日」である。

 九大の学生の多くは、昼食に生協食堂を利用したり、生協弁当を買って食べる。安くてまぁバランスも良く、何より便利だ。自分でお弁当を作ってくるという学生はかなり珍しい。

 しかし、あえて自分でお弁当を作ってこようというお弁当の日。

 きっかけは農学部の学生が自主的に開催した「食育ワークショップ」(2006年10月22日)。その場で香川県の小中学校で取り組まれているお弁当の日を知る。お弁当を作ってきた子ども達の楽しそうで誇らしげな笑顔も素晴らしかったし、何よりその仕掛け人である竹下和男校長先生の「子ども達への贈る言葉」に感動した(この言葉は、竹下和男『“弁当の日”がやってきた-子ども・親・地域が育つ香川・滝宮小の「食育」実践記-』自然食通信社、2003年、を参照)。

 大学生も負けちゃおれん。何より、楽しそうと、学生の主導で九大お弁当の日が始まった。多くて10-20名の学生がお弁当を作り、昼休みに持ち寄る。私もそれに参加している。

 九大お弁当の日のやり方はこうだ。
1)毎週木曜日の昼休み時間に実施。
2)必ず「お弁当テーマ」が設けられる。
3)一人一品持ちより形式。
4)作れなかった場合は、買ったお弁当でもwelcome。
5)休むのも参加するのも自由。

 「作れなかった場合は、買ったお弁当でもwelcome」「休むのも参加するのも自由」という条件は、緩い気がするだろう。しかし、大学生を対象に弁当の日を実施する際には重要だ。大学生は自由だし、様々だから、厳しいルールを設けては逆効果だと思う。そもそも自主性の上に成立している取り組みである。

 寝坊して、または忙しくて、お弁当の日に参加できない学生もいる。お弁当を作ってこれず、生協弁当を買ってくるケースもある。「今日は私はデザート役」とお菓子を買ってきた女子大生もいる。

 それを誰も絶対に責めない。お弁当を作る大変さを自分で体験しているからだろうし、やはり大人なのだ。

 逆に、それが堪える。

 生協弁当を買ってきた学生。みんなが作ってきた弁当を食べたい。しかし遠慮する気持ちもある。「食べて」とみんなに勧められる。「このお弁当も食べて」と生協弁当を皆に勧め返す。しかし、やはり手作り弁当のほうが人気があって、なかなか皆の手が伸びない。そんな雰囲気を経験すれば、「もう絶対に寝坊しない!」「絶対に弁当を作ってくる!!」と決意する。

 大学生にとってはそうしたプロセスに意味があるのだと思う。自分で決意する。それを実践する。まさにセルフ・マネジメントの第一歩である。そう考えれば「作れなかった場合は、買ったお弁当でもwelcome」「休むのも参加するのも自由」というやり方が、逆に意味を持つ。


3.テーマが面白い

 お弁当は、自由に作るよりもテーマを設けたほうがだんぜんに楽しい。これまで九大お弁当の日で設けられたテーマは、次のとおりである。

 「お気に入り野菜弁当」「名前の頭文字食材弁当」「しゃちょうへのバースデー弁当」「でかっ!」「プレおせち」「100円弁当」「3色100円弁当」「テスト」「一つの野菜で和・洋弁当」「バレンタイン弁当」「手で食べられる弁当」「アク」。こうしたテーマの出題係は私である。ちなみに、私の中でのベストテーマは「プレおせち」。おせちに「プレ」がつく。このプレは、いろんな捉え方ができる。

 学生は、このヘンテコなテーマに従い、知恵を絞る。これが楽しい。例えば、テーマ「テスト」の日。ある男子学生は、キュウリの輪切りの入ったポテトサラダを作ってきた。小学校の家庭科のテストがキュウリの輪切りだったからだという。ある女子学生は八宝菜を作ってきた。中に入っているウズラの卵がうまく箸でつかめるか、今からテスト、だという。私は「照り焼き・スパイシー・鶏肉」を作った。略して「テ・ス・ト」。という具合に、知恵を絞る過程も、それを発表する場も楽しい。

 また、こうしたテーマを設ければ、不思議なことに、一品が「かぶる」ことも少なくなる。フリーテーマのほうが、安易に卵焼きを作ったりして、人とかぶってしまうから不思議だ。

 こうしたテーマの面白さ、柔軟さは、弁当の日の生みの親である竹下先生にも「九大のブログに圧倒されています。何よりも“弁当の日”のテーマ設定の柔軟さです。『100円』『三色』『名前の一文字で始まる食材』…。先日、フォーラムで生産者の声を聞く機会がありました。自校調理方式の数校に白菜1個、キャベツ2個と届けるから絶対儲けにならないということです。地産地消や自校調理方式は多くの善意で支えられています。例えば“弁当の日”に『200円弁当』というテーマを設ければ学校給食のすばらしさをわかってくれる人が増えることでしょう」、と評価されている。


4.一品持ちより形式の妙

 一人一品持ちより形式は、後述のように偶然の産物なのであるが、いろんな効果をもたらした。

 その一つは、1回の昼食で30品目取れちゃうことにある。例えば、テーマ「テスト」の日。皆で使用した食材をカウントしてみた。「バジル、塩、鶏肉、ごま、ペッパー、醤油、調理酒、砂糖、いわし、小麦粉、みりん、大根、みそ、いか、ごま油、きゅうり、じゃがいも、ニンジン、タマネギ、卵、キャベツ、鰹節、片栗粉、ケチャップ、カボス、ゼラチン、はちみつ、白菜、ウズラの卵、しいたけ、豚肉、おくら、しそ、うめ、ソーセージ、ほうれんそう、おふ、トマト、チーズ、ごはん、パン」、調味料含めてなんと41品目である。

 また一人一品持ちより形式は、一品だけ作ればいいから忙しい大学生にとっては楽だ。しかしある意味、大変だ。人も食べるから、手抜きができないのである。慣れない料理を作るときは、一度練習をする学生もいる。手抜きができないと言うことは、毎回が本当に新鮮でルーチンになりにくい。

 一人一品持ちより形式にすると、より会話がはずむ。お互いに食べ合うから、味について、作り方について、会話はつきない。そしてこうした会話は、基本的にポジティブである。「おいしい~」「わ~きれい」「手が凝ってる」、など。批判的な意見をこれまで聞いたことがない。竹下先生によれば、お弁当の日の教育的効果の一つは、「褒められること」にある。それは小中学生に限ったことでなく、大学生でもそれは嬉しい。私だって嬉しい。

 また、友達が作ってくれた料理だから、好き嫌いを言えなくなるという効果もある。ある女子学生は、オカラが嫌いだったが、お弁当の日に友人が作ってきたオカラ料理のおかげで、「おいしい!」と好き嫌いを克服してしまった。


5.やさしくなれるお弁当づくり

 そして、人のために料理を作る喜び、さらには、お弁当づくりを通じてやさしくなれる、ということが欠かせない。

 お弁当の日、初日の前夜。学生達と居酒屋で酒を酌み交わしていた。ある学生が、ふと思い出し、「どうしよう…明日はお弁当の日だった!」「やば!買い出ししてなかった」「冷蔵庫に何もない…」「スーパーももう開いてない!」。

 いろんなおかずを作る食材はないけど一品ならなんとかなるはず、ということで一人一品持ちより形式が提案され、スタートした。私は、「お米が切れている」という学生のために、ご飯も炊いて持っていく約束をした。そのときは、お米を3合くらい炊いて、タッパーに詰めて持っていけばいい、くらいの考えだった。

 翌朝、私は一品として卵焼きを作った。そしてご飯が炊きあがり、タッパーに手を伸ばした瞬間、ふと「おにぎりにしたほうが食べやすいし、お弁当っぽいな。学生も喜ぶだろう」と思ってしまった。そうして、おにぎりを握りはじめる。白おにぎりを1つ握ったところで「梅干しが入っていた方が喜ぶだろう」と思ってしまい、星野村の絶品梅干しを冷蔵庫から取り出す。梅干し入りおにぎりを3つほど握ったところで「梅干しばかりじゃ飽きるかな。酸っぱいのが苦手な学生もいるかも」と思ってしまい、オカカ入りおにぎりまで作り始める。結局、炊きたてご飯にもんどり打ちながら、梅干し入り、オカカ入りのおにぎりを8個も握りあげる。
そんな自分をふと顧みて、お弁当の日のスゴサを実感した。

 私は、学生の幸せを真剣に考え、一般的な大学教員に比べて、やらなくていいこと(大学教員に求められること以外のこと)もたくさんやっている。本気で学生の未来とhappyを考える、やさしい先生を自負している。

 しかし、おにぎりを握っているときほど、やさしい気持ちになったことはない。つい、「おにぎりにしてやろう」「オカカ入りも作ってやろう」とか、思ってしまうのだ。心から「そうすれば学生が喜ぶだろう」と、思ってしまうのだ。

 それは教員の学生に対する優しさを超えた、人と人、一対一の人間同士の優しさに近い気がする。教員と学生という立場を超え、人に喜んでほしいという、私自身の本源的なhappyに触れたような気がするのだ。

 お弁当の日で、やさしくなれる。お弁当の日初日に実感したお弁当の日の力である。


6.理念を軽々と超える大学生の力

 毎週1回。大学生は、お弁当の日を重ねながら、セルフ・マネジメントの力とバイタリティを確実に蓄えていっている。アイデアも企画力も行動力もひろがっていく。

 九大お弁当の日メンバーの一人は、お弁当の日をネタに大人気ブログを作りあげた。

 九大お弁当の日メンバーの一人は、他大学の学生も集めて、「大学生による大学生のための食育ワークショップ」を企画している。

 九大お弁当の日メンバーの一人は、既に大学を卒業して、一流商社に入り、最前線で活躍している。商社の中で食育を本気で取り組むのだという。
そんな、大学生によるお弁当の日。竹下先生はこう評価してくれている。「弁当の日を経験した小・中学生が日本を変え始めると、長期的展望だったのに、『今、変わっている』という実感です。食と農林水産業を国ぐるみで変えていけるパワーを感じます」。

 助産師の内田美智子先生はこう評価してくれる。「すぐに親になる若者が、食に関心を持ち、自らの生活や人生を変えていってくれることが嬉しい。だから応援したい。彼女たち、彼らの子どもはきっと幸せになれるはず」。

 そう。大学生によるお弁当の日は、確実に社会的な意味を持っている。

 ただ、大学生はあまり難しいことは考えず、純粋にお弁当の日を楽しむ。暖かい春の日に、緑の芝生の上で、それぞれが作ってきたお弁当を広げる。男子学生が作ってきた料理の凝りように、女子学生が驚く。女子学生が作ってきた、懐かしさを感じさせるほどの味に男子学生が感心する。笑顔と会話は尽きることなく、広げられたお弁当は瞬く間になくなっていく。やわらかい光は大学生もお弁当も、もっと輝かせる。

 そんな大学生活、絶対に楽しい。