「食卓の向こう側」 応援団ブログ

西日本新聞「食卓の向こう側」応援団。世の中の「くらし」を明るくします。

【愛媛・今治市】松木 愛(まつぎ・あい)JAおちいまばり

得意分野:

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■プロフィル
1967年生まれ。愛媛県今治市出身。愛媛県立今治南高校卒。現在、愛媛県最北部にあるJAおちいまばりに勤務。本当の意味での食育とは何だろうかと、自問自答していたときに出合った『弁当の日』の持つ魅力に引かれ、我が家の食卓と子どもたちの育つ環境を変えたいと一念発起。軽度の障害を持つ次女と台所に立ち始め、小さな一歩を踏み出し、子どもたちが一人で生きていけるようにするため、家事分担を実行。
JA内でも月1回、役職員有志による1品持ち寄り『弁当の日』を開催する。

■連絡先
〒794-0028
愛媛県今治市北宝来町1丁目1-5
JAおちいまばり
TEL 0898-34-1800
FAX 0898-34-1631

『弁当の日』が持つ魅力

私が『弁当の日』に出合ったのは2008年1月、私どもJAが主催した教育文化セミナーでの佐藤弘氏の講演でした。
「食べ物の余っている時代に食べ物のありがたさを教えることほど難しいことはない。」とのフレーズで始まった講演は、私が抱き続けていた田植えと稲刈りだけの稲作体験や、月1回与えられた作業をする農業体験で、子どもたちに何が伝わっているのだろうかという疑問を払拭し、食育の本質について見つめ直されるものでした。
それだけではなく、この『弁当の日』の持つ魅力に引かれ、福岡で行われた『弁当の日』シンポジウムに参加し、応援団の方々の本気に触れ、我が家の食卓や子どもたちの育つ環境を変えなければと心に誓うことができ、小さな一歩を踏み出しました。

当時の私は、料理ができないことや仕事の忙しさを理由に、加工品や冷凍食品を平気で食卓に並べるような母親でした。子どもを授かっても離乳食が作れるわけも無く、市販のチンすれば食べさせられるものを与えていました。子どもたちの夕食も長女が5年生になるまで実家の母に任せっきりでした。
こんな私を見かねた友人が放った一言は、「そのうち、あなたの家族は飢え死にするよ!!」という言葉。それでも「今の時代、食べるものは何でもある」という安易な考えしかありませんでした。
こんな時に出合った『弁当の日』発案者の竹下和男氏。
加工品や冷凍食品では、お腹は満たされても心を満たすことはできないということに気付かされ、子どもは栄養と共に母親の愛情も口の中へ運んでいるのだということを教わりました。

そして、我が子には、私と同じ過ちは犯してもらいたくないと一念発起。できないからやらないのではなく、できることから始めようと、軽度の障害を持って生まれてきた次女と共に台所に立ち始めました。そうすると、自然と長女や主人も台所に立つようになりました。
家族4人が1品ずつ作れば、主菜・副菜・副々菜・汁物の一汁三菜ができます。『我が家の弁当の日』です。しかし、家族4人が同じ時間に台所に立つことは難しく、『我が家の弁当の日』は容易ではありませんが、今では、子どもたちは休日の昼食は自分たちで用意して食べるようになりました。
それ以外にも、子どもたちが一人で生きていくことができるよう家事全般を分担するようになっています。

大学生が発案した1品持ちより形式の『弁当の日』。1品持ち寄りだから、自分が作ったものを参加者で食べあいます。人に食べてもらうためには真剣に食材を選ぶようになります。そこから地産地消へとつながり、いずれは日本の農業を変えていけるかもしれないと取り組む姿に、農業を柱とするJAで働く者こそが、この『弁当の日』の持つ魅力に気付き、「食卓」の向こう側に「農業」があることを実感すべきだと思い、JAおちいまばりでは毎月1回、役職員有志による1品持ちより形式の『弁当の日』を行っています。
いくら指導努力、販売努力をしても、消費者意識が変わらなければ農業の活性化は難しいでしょう。食卓から食料自給率アップを目指すためにも、この『弁当の日』は、一役かってくれると信じています。