「食卓の向こう側」 応援団ブログ

西日本新聞「食卓の向こう側」応援団。世の中の「くらし」を明るくします。

【福岡・北九州市】山口 知世(やまぐち・ともよ)歯科医師

得意分野:

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■プロフィル
歯科医師。金丸歯科医院勤務。食育と家族支援研究所 主宰。
東洋医学的な考えをベースに、個々にあったオーダーメードのやさしい歯科診療を目指す。
また診療室の外では子育て支援、家族支援を中心に、乳幼児からお年寄りまでの食育の啓蒙活動に励む。特に食べる機能の充実を図るため離乳食からの食育の大切さを訴え、幼稚園、保育所での健康教室のほか、区役所での離乳食教室のアドバイスもしている。
子供たちが自然とともに生きていく環境づくりに力を入れ、「食べる」ことが心身に与える影響を考えて子育て支援活動にあたっている

口はほんとによく語る

「えっ!また?」今月2回目の義歯の修理である。上顎の総入れ歯の前歯中央から上あご部分にかけてひびが入っている。前回と同じところ。私が急ぎ修理に当たっていると、「○▲さんね。またね。たいへんやのう。」と院長である父。「呑んでするめを引きちぎるんよ。」かなりの飲兵衛だと聞いていたが困ったものである。「入れ歯の食べ方を教えてあげなきゃ」と言うと、父は首を振りながら、「修理してあげたらそれでいいんよ。」
「30年前からずっと言ってきた。歯槽膿漏歯周病)になる前からずっと。入れ歯になってからも。」祖父のころからの患者さん。上の歯が総入れ歯になる前からのお付き合いである。家族構成も本人の生活も熟知した上での診療だ。もちろん、当時からできるかぎりの予防的処置も指導も治療もしてきた(そうだ)。大酒のみで歯みがきをして寝ることは皆無。自分でできないのであれば、毎週口腔ケアに通うように勧めたがかなわず、無念にも総入れ歯に。無念と思っているのは父の方であるが。でも父はそれでいいと言う。総入れ歯になってもちゃんと食べられ、ボケもせず、元気に毎晩好きな酒を好きなだけ飲む。それでも83歳まで元気なんだから、気持ちよく飲ましてやろうや。わしは、あんだけの酒飲みがちゃんと食べられる口でおるだけで満足。

 ×  ×

中学校卒業以来だ。学生服を着ているものの高校に通っている様子はない。奥歯が痛いらしい。口の中を見てみるとタバコのにおいとひどい歯肉炎。歯を磨いてないだけではこんなにはならない。おそらく、加工食品やお菓子を流し込むような感じで、きちんとした食事なんてとっていないのだろう。痛いといっていた歯はかろうじて原形はとどめていたが、歯の半分くらいは虫歯になっているだろうという状態。
「ちゃんとごはん食べてるの?お昼なに食べた?」「・・・マック」「タバコ買うお金があるんやったら弁当でも買わな」「ウィーす」
診療後、院長にこのことを話すと、「荒れとるなあ。おやじが帰ってきたんやろ。」そうか、そういえばもうそのくらい経つ。前回彼が受診したときは、欠けた前歯を治療した。そのころ彼は不思議なことをしていた。自分の髪の毛を抜いてそれでデンタルフロスでするように歯と歯の間に通していたのだ。「なんでそんなことしてるの?」とたずねると、「イライラするから。」彼の歯と歯の間の歯茎には短く切れた髪の毛がたくさん詰まっていた。それからまもなくして彼の父親は服役した。あれから2年。もう出所してもおかしくないころだった。

 ×  ×

1型糖尿病。子供のころから食事制限によく耐え、毎月欠かさず通院していた娘さんだった。この1年姿を見せず、入院でもしたのか心配していたが、ひどく歯が浮いた感じがすると言ってやって来た。久しぶりの来院にほっとしたのもつかの間、口の中をのぞいて驚いた。きれいにブラッシングしてあるものの、一気に虫歯が増えていた。またひどいブラキシズム(歯軋り)も伺える。そして歯周病とは違う口のにおい。赤い舌の先。なんだかつらそうな口の中だ。
「お菓子とかジュースたくさん食べてよくなったの?」「えっ?まあ」目が中を仰ぐ。「最近胃が痛くなったり、吐き気がしたりする?」「そんな時もあるけど吐いたりしない」とつよく否定。「生理は?」「ここ半年くらい・・・。」「そう。ねむれてる?」「あんまり寝られん」雑談をはさみながらしばらく話をした。「せめて何か食べるときはよくかんでね。」
しばらく治療に通ってきた。歯軋り用のマウスピースができた時点で彼女は入院した。心療内科うつ病だった。過食症。口のなかもそう語っていた。

 ×  ×

3代目の独り言。「口はほんとによく語る。」

【兵庫・神戸市】坂本 廣子(さかもと・ひろこ)料理研究家

得意分野:

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■プロフィル
 神戸生まれの神戸育ち。同志社大学英文学科卒
 サカモトキッチンスタジオをベースに、「台所は社会の縮図」として、生活者の立場からの料理作りを目指す。幼児の食教育の一環として、調理実習を行う他、高齢者、障害者および一人暮しの人のための安全な調理法「炎のない料理システム」の普及など、実践的活動を行っている。
 NHKきょうの料理」、NHK教育テレビ「ひとりでできるもん」をスタート指導。テレビやビデオ、雑誌、新聞などのメディアにおける活動に加え、商品開発、企画及び講演など多角的に活動中。
http://www.ruralnet.or.jp/ouen/meibo/193.html

 

福岡・福岡市】刀坂利恵(かたなざか・りえ)栄養士

得意分野:

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■プロフィル
2児の母で、栄養士。旬菜ごはんの会主宰、、オッパイママの料理教室 男性クッキング、エコクッキング講師。ほんの木出版「子どもたちの幸せな未来を考えるシリーズ」(財)福岡県地域福祉財団「Hiエンジェル」などに、食育エッセイも連載している。スローフード食育、からだと地球に優しい食、など「食、農、健康を結ぶ!」をテーマに活動中。自然食の会、食育推進ネットワーク福岡、子どもの食と健康を考える会会員。
ブログ:http://ameblo.jp/naturopathy-banksia/
連絡先/bankshiafitness@(あっと)gmail.com

基本の食事

 ライオンの歯に門歯があったり、牛や馬の歯がするどい犬歯だったら不自然ですよね、餌だって歯に合った物を食べている。そしたら人間は、どんな食べ方が合っているのでしょう?

 そこで、穀類5 : 大豆1 : 魚介類1 : 野菜 海藻 発酵食品3 の割合で食べる「5113食」と言う食べ方がとっても便利なので、うちではこれを目安にしています。

 これは40年間、食と健康について研究、指導していらっしゃる内科医の安藤孫衛先生が人間の歯や消化酵素の量を元に考えられたもので,瑞穂の国の私達にはとても納得とても便利。これを良く噛んで食べると、胃も軽く体も心地いいし、おやつにも気を配れば子どもが病気になっても回復力が違います!!!

 とにかく御飯を主食にして、魚,野菜,海藻でアレンジしたおかずを作り、納豆、味噌、漬物などの発酵食品を毎食最低必ず1品はたべるようにしています。めんどうなら、粉にしただし鰹と味噌を練り混ぜておいたものと乾燥わかめを、お湯で溶くだけのインスタント味噌スープだって出来ます。

 材料を少し工夫して いりこ、味噌、野菜、海藻なら、もうこのパズルは完成!1番の基本形の献立になります。組み合わせはその日の気分次第!!御飯を主にして5113食に沿った食材で、献立を考え献立をたててみると、

雑穀入りの御飯…………(5)
シラス干…………(1)
納豆…………(1)
野菜海藻の入った味噌汁、野菜中心の煮物…………(3)
 となります。

 米から離れ、パン食が増えると必然的にジャムやバター、ハムエッグ、ドレッシング、マヨネーズなど、砂糖、脂肪にかたよりがちになり、私は「あ、損してるなー、もったいないな」と思ってしまいます。

 米がもともと“種子”なのはご存知の通りですが、米も私たちの体もビタミン(B群など)によってエネルギーを代謝させ、籾は芽を出して成長してゆきます。そのビタミンはどこにあるかというと、白米の場合捨てている「胚芽や糠」の中にセットされているのです!!!

 ビタミン、繊維不足を少しでも解消するためには、胚芽米や分搗き米はおすすめですし、雑穀や豆を入れて、つぶつぶをよく噛みしめると甘味があっておいしいものです。よく噛んでほどほどに食べる事によって、体にも優しく(胃腸を助ける)、噛む事によって唾液の分泌も盛んになり、癌抑制の酵素や若さを保つホルモン(パロチン)を分泌促進し、口元をきゅっと引き締め、ちょっとたるみ始めた肌を美しく保つ働きもあります。プロとして健康管理にとても気を使うトップモデルの教育カリキュラムでは、身体を中と外から綺麗にするために「雑穀御飯を100回噛みましょう」と指導するそうです。

 うちでは丸い皿にカフェランチのように盛りつけて子どもに、「今日5、1、1、3、食で足りないものなーんだ?」って食育クイズで聞いたりして、後から秘密の一品を出したりして小さいうちから選んで食べる方法も覚えさせます。

 おかずの法則が守れて、「よーく噛める」なら、玄米もおすすめ。

 食事は腹八分がいいけれど、「今日は食べすぎたなー」と思ったら、そのあとの食事で調整して、お腹が空いて「御飯が食べたーい!」と思うまで胃腸を休めてあげましょう。

 体に合った「普段着食」と、付合いや楽しみの時などの「よそ行き食」とを使い分け、楽しみながら続けることが長続きのコツですよ。そういう親の姿を子どもはちゃーんと見て真似しています。

【福岡・宗像市】比良松 道一(ひらまつ・みちかず)九州大学大学院農学研究院助教

得意分野:

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プロフィル
1965年、福岡県福岡市生まれ。農学博士。福岡県農業総合試験場を経て九州大学へ。現在、九州大学持続可能な社会のための決断科学センター准教授。園芸植物資源の生態や進化、保全に関する研究に明け暮れていた頃、研究室の女子学生が始めた「弁当の日」に参加し、食育に目覚める。当時、保護者会長を務めていた宗像市立河東小学校学童保育において、即、弁当の日を実践。学童保育所の弁当の日としては全国初の取り組み。共働き家庭や片親家庭を中心とした現代の「共同の子育て」を充実するうえで、弁当の日が大変有効な方法であることを実証した。現在、「人も生き物も"持ちつ持たれつ"」をキーワードに、大学生や小学生、一般市民、子育て支援団体を対象とした食・環境・子育てに関する講義・講演活動・ワークショップを展開中。

■連絡先
〒812_8581
福岡市東区箱崎6-10-1
九州大学持続可能な社会のための決断科学センター
TEL: 092-686-8928
FAX: 092-642-4363
E-mail : mich.katz1965@(あっと)gmail.com
http://d.hatena.ne.jp/mich_katz/

忙しい共働き・片親家庭こそ必要な「弁当の日」

1.弁当の日との運命の出会い

「先生、"お弁当の日"に参加しませんか?」

平成18年秋、大学に務める私の研究室で女子学生がそう誘ってくれたとき、私はまだ、お弁当の日の本当の意味が分かっていませんでした。私がその誘いに気安く応じたのは、単に、料理することが嫌いではなく、時折、妻の弁当を作ることもあり、おかずを一品作るくらい特に大変なこととは思わなかったからです。今になって思えば、それが、学術研究一筋だった私が「食育」にハマったきっかけでした。
その大学生の弁当の日に参加するようになってしばらくしてのこと。私は、弁当の日を最初に実践された香川県の竹下和男校長先生の著書「"弁当の日"がやってきた」「台所に立つ中学生」(いずれも自然食通信社)を読み、弁当の日が単なる子どもの料理技術の向上や栄養改善を目的とした取り組みでなく、家庭での"くらし"の時間を取り戻すための取り組みであることを知ります。私はその考えに激しく共感しました。
竹下先生によれば、家庭での"くらし"の時間が心身の基礎を作ります。その基礎が地域での"あそび"を通じて情や社会性を育むことを支え、さらに、その二つの基礎が学校での"まなび"を通じて多彩な能力や将来の志(こころざし)を育むことを支えると言うのです。しかしながら、最近の子どもたちの生活時間では、"くらし"と"あそび"の時間が縮小され、その一方で"まなび"の時間が増大される傾向にあります。"まなび"の時間は、別の見方をすれば、競争や評価というストレスにさらされる時間でもありますが、"くらし"や"あそび"の質・量ともに低下している今日の子どもたちには、そのストレスに打ち勝つ力が十分に備わっていません。だからこそ、くらしの時間を取り戻すためのお弁当の日というのです。

2."共同の子育て"の具体実践としての弁当の日

当時、私は娘たちが通う学童保育所の保護者会長を務めていました。放課後の子どもの居場所である学童保育所には、"あそび"と"くらし"の時間がたっぷりありました。その保育所では、指導員(学童保育の保育士)が、暮らしに必要な力を早い時期に身につけさせるために、1年生にリンゴの皮むきをさせたり、裁縫をさせたりしています。我が家の長女と次女もそれを体験し、一人前に包丁や針を使うことができるようにして頂きました。とてもありがたいことだと思っています。
しかし、よく考えてみるとそれは、本来親から子に伝えなければならなかったことです。「指導員が仕事で忙しい私たちの代わりをしてくれるから助かるわ~」と私たち親が甘えているばかりで、家庭での子どもと過ごす時間を大切にしなければ、くらしの時間が充実しているとは言えないでしょう。どんなに仕事で忙しくても親自身が子どものために果たすべき大切な役割を放棄してはいけません。
預けっぱなしにせず、自分以外の親、保育所の指導員、それに学校教員や民生委員など身近な地域の人たちと関わり合いながら子どもを育てる"共同の子育て"。
それは、宗像市学童保育連合会がその30年にもわたる活動の中で最も大切にしてきた保育理念です。私は、この理念を気に入ってはいたのですが、具体的に何を実践すれば共同の子育てと言えるのかはずっと未解決のままでした。そんな私のモヤッとした気持ちが、弁当の日との出会いによってスッキリと晴れたのです。
「指導員の献身的な努力に私たちが応えるために、そして、それぞれの家庭の"くらし"の時間を充実させるために、私たち働く親たちが協力して取り組むべきは弁当の日だ!」そう私は思いました。

3.学童保育版弁当の日の始動

河東小学童保育所では、小学1年生から6年生まで、100名を超える児童が在籍しています。子どもたちは、土曜日、学校行事の振替休日、夏休みのような長期休暇のお昼に、お昼ご飯を持参しなくてはなりませんが、食事の内容を何にするかは基本的に各家庭に任されています。親が作った弁当を持参する場合もあれば、買い与えた弁当、パン、サンドイッチやカップ麺を食べる場合もあります。私たちは、こうした昼ご飯の時間に、全学年の全保育児童を対象として弁当の日を実施することにしました。
記念すべき第1回目の弁当の日は平成19年5月28日。"私のスペシャルおにぎり"を作ってくるように児童に伝えました。これは、「料理の経験がほとんどないと思われる低学年でも参加しやすくなるように」との指導員からのアドバイスを反映させたものです。運動会の代休だったこともあり、普段ランチルームとして使っている一部屋に入りきれないほどの人数の児童が自分で作ってきたおにぎりを披露してくれました。
梅干し、ふりかけ、シャケなど、各自が思い思いの具材で味付けしたおにぎりが次々に取り出されると、たちまち部屋が賑やかになります。その大きさや形、工夫の多彩なこと。どことなく形の均整がとれず、大きさが不揃いなところが、おにぎりを作った子どもたちの大変な苦労を物語っていました。感想を聞くと、「三角にするのが難しかった」「(ご飯が)熱かった」などといかにも子どもらしい答えが返ってきました。
さらにある子の周りで「わぁ!」と歓声があがります。見ると、その子たちの前には、自分の名前をのりで描いたおにぎりや、頬を赤らめた可愛い顔のあるおにぎりが並んでいます。「子どもの感性と発想はスゴい!大人を超えている。」と私は正直にそう思いました。
感動と興奮に満ちた最初の弁当の日の余韻は、その後もしばらく続きました。
1回目の弁当の日の後の最初の土曜には、4年生の男子が、自作のおにぎりに自作の卵焼き、焼きウィンナーなどを詰めた弁当を持ってきました。別の土曜には、最初の弁当の日にコンビニおにぎりを持ってきた5年生男子が、自作おにぎりを持ってきました。
さらに、6年生の男子が驚くべき行動に出ます。ある土曜日に、いつも手づくり弁当を持参している指導員が、たまたま忙しく、お店で買ったサンドイッチでお昼を済ませていた様子を見たその子が、翌週、その指導員のために弁当を作ってきたのです。しかも、自らの分と弟の分と3人分も。弟の話によれば、兄は、その弁当を作る日を忘れないように、カレンダー上に印を付けていたそうです。弁当を作ってもらった指導員が涙を流して感動したことは言うまでもありません。
たった一回の、"おにぎりだけ"の取り組みが、これほどまでに子どもたちの行動に影響を与えることを目の当たりにした私は、弁当の日の"スゴさ"を心の底から実感しました。そして、「スイッチさえ入れてあげさえすれば、子どもたちはこんなにも"キラキラ"と輝きだすのだ。私たち大人が子どもたちの健やかな育ちのために何かをしなければならないのだとすれば、それは、その"キラキラ"スイッチを探し出し、入れてあげることだったのだ。」と思いました。
こうして始まった私たち学童保育の弁当の日は、その後、"おにぎりと手づくりおかず1品"として自作アイテムを増やしたり、"秋のおかず"というようなテーマを設けたりしながら、弁当作りの技術や楽しさが少しずつアップするような工夫がなされ、2ヶ月に1回程度のペースで今年の1月までに5回おこなわれました。そして、回を重ねる度に、子どもたちのお弁当作りに対する意欲と感性は深化していきました。

4.子と親の共進化~働く親が弁当の日に取り組む意義

弁当の日を通して変化するのは、子どもだけではありません。子どもの変化に釣られるようにして親たちも変わり始めました。弁当作りという、とてもシンプルな行動によって起こる子と親の"持ちつ持たれつの共進化"の物語は、しばしば感動的です。そして、多忙な家庭の気にもしなかったくらしの時間の中に沸き起こる感動のお話は、周囲の働く親たちに共感や意識・行動の変化をもたらします。「感動は行動の原動力。」だからこそ、私はできるだけ多くの家庭の弁当物語を親どうして共有したいと思うのです。
例えば、ある父子家庭のお弁当の日にまつわるこんなお話がありました。
父親は、二人の子どもに保育所で食べるようにとパンを買い与えていました。ところが、弁当の日が始まり、周囲に自分で弁当を作ってくる子が増えるようになると、長男はそれを保育所ではなく、わざわざ家へ持ち帰って食べると言い出したのです。そのことを指導員から聞いた私は悩みました。なんとかその子にも弁当の日に参加してもらう方法はないだろうかと。
それから間もなくしてからのある土曜日、その長男が「お父さんにおにぎりの握り方を習ったヨ。」と嬉しそうに話し、保育所で他の児童と一緒にお昼を食べたということを、指導員から聞いたのです。そしてその翌週には、兄妹二人、共に自作おにぎりを持参し、保育所で食べたという一通のメールが私のもとへ送られてきました。兄が妹におにぎりの握り方を教えたのです。
私は、その時一緒に送られてきた、美味しそうにおにぎりにかぶりつく兄妹の写真を見ながら、その子たちの父親に「子どものためにおにぎりだけでも」と伝えてくださった指導員や、子どもたちのために一歩踏み出し、ご飯を炊いてくださったその父親に、ただただ感謝するばかりでした。
「大人の私は、完璧なお弁当を"お弁当"と思ってしまいがちでしたが、自分で作ることや、一品ずつでも作るおかずが増えることが大切なんだなあと思いました。」と子どもの目線で考えることの大切さに気付いた母親もいます。その母親は、同じ感想文の中で、次のようにも自らの胸の内を正直に語ってくださいました。「最初にお弁当の日が始まった時、『出勤前の忙しい時間に・・・』という気持ちが私の中にありました。」と。
働く親が利用する学童保育では、最初にこのお母さんのように感じた人や、今でもそう感じている人は少なくないと思います。しかし忙しいからこそ、お弁当の日によって生まれる"くらし"の時間の中で、子どもと向き合うことを大切にしていく必要があるのではないでしょうか。弁当の日の生みの親である竹下校長先生も「弁当の日を出来ない理由が、弁当の日をやる理由です」と言われます。
もし、本当に私たち親が忙しくて、疲れて、どうしようもないとき、「今日はわたしが食事を作るから、休んでいていいよ!」と自然に言える優しい子どもが傍にいてくれたらどんなに幸せなことでしょう。そんな家庭が日本中に"ありふれる"ように、そんな愛情が100年先の子どもたちにまで伝わるように、私たち大人は頑張らなくてはいけません。

5.食の進化論

生態学や進化学をベースとした研究に従事してきた私は、最近、「食のスタイルは進化するのか」ということが気になっていろいろと調べました。そして人類進化学者山極寿一教授の興味深い学説に行き着きました。山極先生によれば、直立二足歩行の進化によって生じた不便が"持ちつ持たれつ"の関係を育み、その結果、共同保育や食の分配行動をもたらしたというのです。
未熟な子どもたちを育てるために、一族で家事や仕事を分担し食を分かち合うという行為は、まさに一家団欒の風景。共食スタイルは、私たちが人間であることの証なのです。
簡単で便利で安い食事が横行し、弧食が進化する現代。私たちは私たち自身の起源にまで遡って、食のあり方を振り返る必要があるとのだと思います。

【福岡・福岡市】朝廣 和夫(あさひろ・かずお)九州大学芸術工学研究院環境計画部門助教

得意分野:

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■プロフィル
九州大学大学院芸術工学研究院環境計画部門助教。ふくおか森づくりネットワーク・代表。
昭和45年熊本県生まれ宮崎県育ち。博士(芸術工学)。(株)アーバンデザインコ
ンサルタントを経て、平成8年より九州芸術工科大学助手。ロンドン大学インペリアルカレッジ客員研究員を経て現職。
里山保全、市民参加、航空写真解析をキーワードに教育・研究を行う。実践的な活動を旨とし、
福岡県八女郡黒木町の「国際里山・田園保全ワーキングホリデー」、福岡市の鴻巣山緑地保全地区
で活動する「こうのす里山くらぶ」、里山保全活動の支援を目的とした「ふくおか森づくりネットワーク」
の活動を実施。平成20年3月に開催された「第13 回森林と市民を結ぶ全国の集い」などに携わる。
最近は、NPO法人 日本環境保全ボランティアネットワーク(JCVN)の設立を準備中。

■連絡先
九州大学芸術工学研究院
〒815-8540 福岡県福岡市南区塩原4-9-1
TEL/FAX 092-553-4480
E-mail asahiro(アット)design.kyushu-u.ac.jp(アットを@に変えてください)
個人ホームページ http://www.design.kyushu-u.ac.jp/~asahiro/

 

景観保全とボランティア


失われつつある日本の田園・里山景観

私は「景観保全」、特に緑地の保全を専門にしている研究者です。最近、田舎の人々の考え方が知りたくなり、福岡市近郊の田園環境の中に住まいを移しました。
そこで、景観に対して耳にする言葉は、「景観は金にならん」「自然は他所に行けばいくらでもある」、というような、農林業の生産一辺倒の考え方です。一方で、地域の草刈りや祭り、子供会、中年会等の多数の出事があり、そこで形成される濃密な「世間」が、地域を支えていることでした。この農林業生産重視の考え方と田舎の仕組みは、近代化を経たとはいえ、綿々と続いてきた暮らしであると感じられます。
この伝統的な暮らしが、目の前に広がる美しい田園と里山景観を支えてきた。しかしながら、このような風景は、過疎化・高齢化により徐々に失われつつあるようです。
綿々とつづいてきた田舎の暮らしは、農林業と共に衰退しつつあります。これが日本型の地域問題であり、若者の世間離れが、これを助長していると感じられます。


奉仕という義務、ボランティアという権利

私は、日本を支えてきた世間、農林業、美しい田園・里山景観の保全・再生に対し、西洋型のボランティアという権利意識と市民活動が、人々の田舎に対する知識、風景を美しいと感じる感性、そして、それを守ろうという意識を育む力になると考えています。
なぜ、若者は田舎を離れ、世間や家族との関係を断とうとするのでしょうか。私は、農林業の置かれた経済的厳しさだけではなく、自ら考え、発言し、決断し、そして活動する自由が制限されているからだと考えています。
よく、地域の清掃や役員をボランティアといわれる方がいます。このような地域や学校で行う奉仕活動はコミュニティサービスといいます。実施団体に属する個人は義務として関わるのです。一方、ボランティアサービスとは「私がやりたいからする」自発的な活動です。関わりたくなければする必要はありません。ボランティア精神は個人の意見を尊重することからはじまり、市民として主張する権利でもあると考えられます。


いつでも、誰でも、どこでもできるボランティア活動

本来、地域マネジメントにおいて、コミュニティサービスは、ボランティアサービスに支えられ、より良い協働関係を持つべきだと考えられます。しかしながら、伝統的な仕組みはトップダウンが強く、個人の意見を実現する仕組みが十分に存在しません。また、地域の生活文化よりも生産効率の優先される価値観の中で、農林業の衰退する田園環境に居住する価値は、下がらざるを得ないのではないでしょうか。
地域再生は産業の振興が柱です。しかしながら、新たな柱として環境保全と地域振興を展開する新たな価値観を涵養し、それを進める仕組みと人づくりが必要と考えます。まずは、自ら考え、発言し、行動できる人々を増やすために、いつでも、誰でも、どこでも参加できるボランティア活動を、地域の中に展開する必要があるのではないでしょうか。


ボランティアを支えるプロ集団

私は、ボランティア意識を継続的に育み、その力を景観保全に繋げるために、継続的に支援するプロ集団が必要だと考えています。
例えば、田園・里山景観の保全活動を担うNPO事業体、民間・行政団体は、景観を多面的に保全する制度と計画を検討し、活動フィールドと事業主体を設け、資金と人材を集めることができるでしょう。そこに、地域の人々は、ボランティアとして関与することが可能です。職場や家庭で様々な専門的ノウハウを培っているボランティアは、農林業生産以外の価値観や商品開発の可能性、また、新たな地域づくりを担う力をもたらしてくれると思います。


私が提供できること

私は里山・田園景観の保全に資するため、ボランティアリーダーの育成やボランティア活動の実施・運営、また、雑木林や針葉樹人工林の植生調査や管理活動さらに、地域の景観計画ついて支援することが可能です。ぜひ、私をパートナーとしてご活用下さい。