「食卓の向こう側」 応援団ブログ

西日本新聞「食卓の向こう側」応援団。世の中の「くらし」を明るくします。

【福岡・宗像市】比良松 道一(ひらまつ・みちかず)九州大学大学院農学研究院助教

得意分野:

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プロフィル
1965年、福岡県福岡市生まれ。農学博士。福岡県農業総合試験場を経て九州大学へ。現在、九州大学持続可能な社会のための決断科学センター准教授。園芸植物資源の生態や進化、保全に関する研究に明け暮れていた頃、研究室の女子学生が始めた「弁当の日」に参加し、食育に目覚める。当時、保護者会長を務めていた宗像市立河東小学校学童保育において、即、弁当の日を実践。学童保育所の弁当の日としては全国初の取り組み。共働き家庭や片親家庭を中心とした現代の「共同の子育て」を充実するうえで、弁当の日が大変有効な方法であることを実証した。現在、「人も生き物も"持ちつ持たれつ"」をキーワードに、大学生や小学生、一般市民、子育て支援団体を対象とした食・環境・子育てに関する講義・講演活動・ワークショップを展開中。

■連絡先
〒812_8581
福岡市東区箱崎6-10-1
九州大学持続可能な社会のための決断科学センター
TEL: 092-686-8928
FAX: 092-642-4363
E-mail : mich.katz1965@(あっと)gmail.com
http://d.hatena.ne.jp/mich_katz/

忙しい共働き・片親家庭こそ必要な「弁当の日」

1.弁当の日との運命の出会い

「先生、"お弁当の日"に参加しませんか?」

平成18年秋、大学に務める私の研究室で女子学生がそう誘ってくれたとき、私はまだ、お弁当の日の本当の意味が分かっていませんでした。私がその誘いに気安く応じたのは、単に、料理することが嫌いではなく、時折、妻の弁当を作ることもあり、おかずを一品作るくらい特に大変なこととは思わなかったからです。今になって思えば、それが、学術研究一筋だった私が「食育」にハマったきっかけでした。
その大学生の弁当の日に参加するようになってしばらくしてのこと。私は、弁当の日を最初に実践された香川県の竹下和男校長先生の著書「"弁当の日"がやってきた」「台所に立つ中学生」(いずれも自然食通信社)を読み、弁当の日が単なる子どもの料理技術の向上や栄養改善を目的とした取り組みでなく、家庭での"くらし"の時間を取り戻すための取り組みであることを知ります。私はその考えに激しく共感しました。
竹下先生によれば、家庭での"くらし"の時間が心身の基礎を作ります。その基礎が地域での"あそび"を通じて情や社会性を育むことを支え、さらに、その二つの基礎が学校での"まなび"を通じて多彩な能力や将来の志(こころざし)を育むことを支えると言うのです。しかしながら、最近の子どもたちの生活時間では、"くらし"と"あそび"の時間が縮小され、その一方で"まなび"の時間が増大される傾向にあります。"まなび"の時間は、別の見方をすれば、競争や評価というストレスにさらされる時間でもありますが、"くらし"や"あそび"の質・量ともに低下している今日の子どもたちには、そのストレスに打ち勝つ力が十分に備わっていません。だからこそ、くらしの時間を取り戻すためのお弁当の日というのです。

2."共同の子育て"の具体実践としての弁当の日

当時、私は娘たちが通う学童保育所の保護者会長を務めていました。放課後の子どもの居場所である学童保育所には、"あそび"と"くらし"の時間がたっぷりありました。その保育所では、指導員(学童保育の保育士)が、暮らしに必要な力を早い時期に身につけさせるために、1年生にリンゴの皮むきをさせたり、裁縫をさせたりしています。我が家の長女と次女もそれを体験し、一人前に包丁や針を使うことができるようにして頂きました。とてもありがたいことだと思っています。
しかし、よく考えてみるとそれは、本来親から子に伝えなければならなかったことです。「指導員が仕事で忙しい私たちの代わりをしてくれるから助かるわ~」と私たち親が甘えているばかりで、家庭での子どもと過ごす時間を大切にしなければ、くらしの時間が充実しているとは言えないでしょう。どんなに仕事で忙しくても親自身が子どものために果たすべき大切な役割を放棄してはいけません。
預けっぱなしにせず、自分以外の親、保育所の指導員、それに学校教員や民生委員など身近な地域の人たちと関わり合いながら子どもを育てる"共同の子育て"。
それは、宗像市学童保育連合会がその30年にもわたる活動の中で最も大切にしてきた保育理念です。私は、この理念を気に入ってはいたのですが、具体的に何を実践すれば共同の子育てと言えるのかはずっと未解決のままでした。そんな私のモヤッとした気持ちが、弁当の日との出会いによってスッキリと晴れたのです。
「指導員の献身的な努力に私たちが応えるために、そして、それぞれの家庭の"くらし"の時間を充実させるために、私たち働く親たちが協力して取り組むべきは弁当の日だ!」そう私は思いました。

3.学童保育版弁当の日の始動

河東小学童保育所では、小学1年生から6年生まで、100名を超える児童が在籍しています。子どもたちは、土曜日、学校行事の振替休日、夏休みのような長期休暇のお昼に、お昼ご飯を持参しなくてはなりませんが、食事の内容を何にするかは基本的に各家庭に任されています。親が作った弁当を持参する場合もあれば、買い与えた弁当、パン、サンドイッチやカップ麺を食べる場合もあります。私たちは、こうした昼ご飯の時間に、全学年の全保育児童を対象として弁当の日を実施することにしました。
記念すべき第1回目の弁当の日は平成19年5月28日。"私のスペシャルおにぎり"を作ってくるように児童に伝えました。これは、「料理の経験がほとんどないと思われる低学年でも参加しやすくなるように」との指導員からのアドバイスを反映させたものです。運動会の代休だったこともあり、普段ランチルームとして使っている一部屋に入りきれないほどの人数の児童が自分で作ってきたおにぎりを披露してくれました。
梅干し、ふりかけ、シャケなど、各自が思い思いの具材で味付けしたおにぎりが次々に取り出されると、たちまち部屋が賑やかになります。その大きさや形、工夫の多彩なこと。どことなく形の均整がとれず、大きさが不揃いなところが、おにぎりを作った子どもたちの大変な苦労を物語っていました。感想を聞くと、「三角にするのが難しかった」「(ご飯が)熱かった」などといかにも子どもらしい答えが返ってきました。
さらにある子の周りで「わぁ!」と歓声があがります。見ると、その子たちの前には、自分の名前をのりで描いたおにぎりや、頬を赤らめた可愛い顔のあるおにぎりが並んでいます。「子どもの感性と発想はスゴい!大人を超えている。」と私は正直にそう思いました。
感動と興奮に満ちた最初の弁当の日の余韻は、その後もしばらく続きました。
1回目の弁当の日の後の最初の土曜には、4年生の男子が、自作のおにぎりに自作の卵焼き、焼きウィンナーなどを詰めた弁当を持ってきました。別の土曜には、最初の弁当の日にコンビニおにぎりを持ってきた5年生男子が、自作おにぎりを持ってきました。
さらに、6年生の男子が驚くべき行動に出ます。ある土曜日に、いつも手づくり弁当を持参している指導員が、たまたま忙しく、お店で買ったサンドイッチでお昼を済ませていた様子を見たその子が、翌週、その指導員のために弁当を作ってきたのです。しかも、自らの分と弟の分と3人分も。弟の話によれば、兄は、その弁当を作る日を忘れないように、カレンダー上に印を付けていたそうです。弁当を作ってもらった指導員が涙を流して感動したことは言うまでもありません。
たった一回の、"おにぎりだけ"の取り組みが、これほどまでに子どもたちの行動に影響を与えることを目の当たりにした私は、弁当の日の"スゴさ"を心の底から実感しました。そして、「スイッチさえ入れてあげさえすれば、子どもたちはこんなにも"キラキラ"と輝きだすのだ。私たち大人が子どもたちの健やかな育ちのために何かをしなければならないのだとすれば、それは、その"キラキラ"スイッチを探し出し、入れてあげることだったのだ。」と思いました。
こうして始まった私たち学童保育の弁当の日は、その後、"おにぎりと手づくりおかず1品"として自作アイテムを増やしたり、"秋のおかず"というようなテーマを設けたりしながら、弁当作りの技術や楽しさが少しずつアップするような工夫がなされ、2ヶ月に1回程度のペースで今年の1月までに5回おこなわれました。そして、回を重ねる度に、子どもたちのお弁当作りに対する意欲と感性は深化していきました。

4.子と親の共進化~働く親が弁当の日に取り組む意義

弁当の日を通して変化するのは、子どもだけではありません。子どもの変化に釣られるようにして親たちも変わり始めました。弁当作りという、とてもシンプルな行動によって起こる子と親の"持ちつ持たれつの共進化"の物語は、しばしば感動的です。そして、多忙な家庭の気にもしなかったくらしの時間の中に沸き起こる感動のお話は、周囲の働く親たちに共感や意識・行動の変化をもたらします。「感動は行動の原動力。」だからこそ、私はできるだけ多くの家庭の弁当物語を親どうして共有したいと思うのです。
例えば、ある父子家庭のお弁当の日にまつわるこんなお話がありました。
父親は、二人の子どもに保育所で食べるようにとパンを買い与えていました。ところが、弁当の日が始まり、周囲に自分で弁当を作ってくる子が増えるようになると、長男はそれを保育所ではなく、わざわざ家へ持ち帰って食べると言い出したのです。そのことを指導員から聞いた私は悩みました。なんとかその子にも弁当の日に参加してもらう方法はないだろうかと。
それから間もなくしてからのある土曜日、その長男が「お父さんにおにぎりの握り方を習ったヨ。」と嬉しそうに話し、保育所で他の児童と一緒にお昼を食べたということを、指導員から聞いたのです。そしてその翌週には、兄妹二人、共に自作おにぎりを持参し、保育所で食べたという一通のメールが私のもとへ送られてきました。兄が妹におにぎりの握り方を教えたのです。
私は、その時一緒に送られてきた、美味しそうにおにぎりにかぶりつく兄妹の写真を見ながら、その子たちの父親に「子どものためにおにぎりだけでも」と伝えてくださった指導員や、子どもたちのために一歩踏み出し、ご飯を炊いてくださったその父親に、ただただ感謝するばかりでした。
「大人の私は、完璧なお弁当を"お弁当"と思ってしまいがちでしたが、自分で作ることや、一品ずつでも作るおかずが増えることが大切なんだなあと思いました。」と子どもの目線で考えることの大切さに気付いた母親もいます。その母親は、同じ感想文の中で、次のようにも自らの胸の内を正直に語ってくださいました。「最初にお弁当の日が始まった時、『出勤前の忙しい時間に・・・』という気持ちが私の中にありました。」と。
働く親が利用する学童保育では、最初にこのお母さんのように感じた人や、今でもそう感じている人は少なくないと思います。しかし忙しいからこそ、お弁当の日によって生まれる"くらし"の時間の中で、子どもと向き合うことを大切にしていく必要があるのではないでしょうか。弁当の日の生みの親である竹下校長先生も「弁当の日を出来ない理由が、弁当の日をやる理由です」と言われます。
もし、本当に私たち親が忙しくて、疲れて、どうしようもないとき、「今日はわたしが食事を作るから、休んでいていいよ!」と自然に言える優しい子どもが傍にいてくれたらどんなに幸せなことでしょう。そんな家庭が日本中に"ありふれる"ように、そんな愛情が100年先の子どもたちにまで伝わるように、私たち大人は頑張らなくてはいけません。

5.食の進化論

生態学や進化学をベースとした研究に従事してきた私は、最近、「食のスタイルは進化するのか」ということが気になっていろいろと調べました。そして人類進化学者山極寿一教授の興味深い学説に行き着きました。山極先生によれば、直立二足歩行の進化によって生じた不便が"持ちつ持たれつ"の関係を育み、その結果、共同保育や食の分配行動をもたらしたというのです。
未熟な子どもたちを育てるために、一族で家事や仕事を分担し食を分かち合うという行為は、まさに一家団欒の風景。共食スタイルは、私たちが人間であることの証なのです。
簡単で便利で安い食事が横行し、弧食が進化する現代。私たちは私たち自身の起源にまで遡って、食のあり方を振り返る必要があるとのだと思います。